『魂の治療』(1905年)
「言葉は、色褪せてはいるが魔法であることには変わりがない」
すでに精神分析を確立したフロイトが、なぜか精神分析に触れることなく、催眠療法の解説をしている論文。その分「心理療法」一般に対する彼の姿勢が読みとれます。心理療法(psycho-therapy)に魂(psyche)という語根が透けて見える。ヨーロッパ圏の人たちにはそういう感覚なんだな。
【明るい期待】
この論文で心理療法は、「変わりたくない」という言葉と「変わりたい」という言葉の闘いとして描かれる。そのどちらもクライエントの心の中にはある。「変わりたい」という言葉のほうを「明るい期待」と名付け、その期待をどう育てていくかが問われる。こういう視点、良いなあ。まあ、100年前の話だから、催眠暗示のような「言い含め」に頼ろうとしている権威主義的な顔を見せはするけど、同時に「それではうまく行かない」という冷静な分析も出してくる。結局まだ答は見つからない、という終わり方も、フロイトの誠実さを感じます。「病気はしばしば、大きな喜ばしい感動、欲求の満足、願望の成就によって運命が癒すのだ」。人間の力なんて取るに足らない。その無力な人間としての自覚において「治療に最適な精神状態と諸条件とを患者に喚起する努力」を続ける。
でもフロイトの話の並びを変えると、この自覚と努力の関係こそが治療の第一要因となってます。つまり、そこに「治療者の人格」が生まれている。クライエントから見て本当に信頼に値する人物、つまりはクライエントの持つ「明るい期待」を転移するに値する人物としてセラピストが認められるとき、セラピストの言葉がクライエントの抵抗をすり抜けて、魂の核に届くからです。その「言葉」の内容はどんなものでも良い。ただ、魂に他者の言葉が届くことが、クライエントを内側から変化させる。一言だけでも心の内奥に届けば、魂は変化に向けて歩み出す。それが「魂の治療」。
「聖地に向かう巡礼の苦難」を、彼はこの治療法のメタファーとして挙げています。クライエントの「明るい期待」はいったんセラピストに転移され、そのあとセラピストの言葉としてクライエントの「魂」に戻ってきます。長い旅です。そして、その旅を終えたとき、変化への言葉が内在化され、クライエントは自分自身のセラピストとなっているのです。
【言葉の魔法】
あと、やっぱり圧巻なのは「言葉の魔力」という考え方。そうだよなあ。カウンセラーの武器は「言葉」しかない。だったら、言葉をもっと磨けよ。そう言われてる感じがする。人を傷つける言葉があるように、人を癒す言葉がある。その言葉をクライエントと一緒に見つけていくのが「俺たち」だろ? 「俺たち」は魔法使いの末裔なんだ。たとえ今はそれだけの魔力がなくても、この道を進みながら、いつかは魔法使いになるんだ。・・・そういうお馬鹿な夢をフロイトが熱弁しているようで、この論文、大好きです(^^)。
この「言葉は元来魔法だった」という箇所は、短期家族療法センターのド・シェイザーが書いた『解決志向の言語学』の原題に使われました。Words were originally Magic.。ド・シェイザーの短期療法は効率重視のプラグマティックな治療法だと思われていますが、そう思っている人は使いこなせていないでしょう(笑)。元をたどれば、催眠療法の時間順行性催眠に起源があります。ミルトン・エリクソンが多用していた「マジック」を、凡庸なカウンセラーでも使えるように整理している。そしてその方法は何も新しくない、フロイトがここで書いているのと同じ原理です。
人は、状況Aに置かれている間は、状況Aについて洞察することはできません。なんらかの方法で、とりあえず状況Bに移行したとき、初めて状況Aを振り返り、そのことを客観的に理解することができます。どの心理療法にも、この「軸ずらし」の技法が入っています。「身体に尋ねてみると」「脱感作の状態で再度イメージして」「魂の声に耳を澄ませば」。いずれも「軸ずらし」です(^^)。
時間順行性催眠では、時間軸をずらすことで状況Bを作ります。つまり、催眠状態にして「あなたはいま、3ヶ月後の未来にいます」と時間を進めてしまう。「3ヶ月後」を状況Bにして、そこから現在の状況Aを観察してもらう方法です。ド・シェイザーは、催眠を使わなくても「もし奇跡が起こったら、どうなるでしょうね?」と問い掛けることで、同じ状況Bが作り出せることを発見しました。
そのとき重視されるのが、やはり「明るい期待」です。未来に向かって変化していく前提で対話をするとき、その対話自体が変化の原動力になります。対話以前に変化への保証はありません。対話が変化を保証するのです。「明るい期待」について語るとき、すでに状況Bが対話のなかに形成されます。「問題」や「原因」を話題の焦点に置くと、問題が起こっている状況Aから外へと踏み出すことはないけれど、「解決」を話題の中心にすれば、そこには「軸ずらし」が起こります。「明るい期待」に包まれると、肩から力が抜ける。そして初めて、現在の「今ここ」について味わう準備ができるわけです。
【魂のニュアンス】
「精神」という言葉と「心理」という言葉は日本語では混同されやすいですが、インド=ヨーロッパ語族の人たちは区別して使っているみたいです。今一つ確信できませんが、「心理(psyche)」という言葉のほうは「魂(Seele)」という意味を持っていて、ギリシア語の"enpsychon"が「生きとし生けるもの」であるところを見ると「命」のニュアンスがあるようです。同じ「魂」を意味する"anima"も、"animal"(動物)や"animate"(生気づける)の語源であることからすると、生命体全般に"psyche"は備わっている。だから、ネズミで心理学実験をしても「当然」なわけです(笑)。
それに対し「精神」は英語では"spirit"、ドイツ語では"Geist"ですね。ドイツ語の"Geist-wissenschaft"が「精神科学」と訳されたり「霊学」と訳されたりするところを見ると、「霊(ghost)」に関連するイメージのようです(彼らは「精神」と「霊」とを区別していない?)。キリスト教圏では三位一体の「聖霊」が"Spirit"とされているものなので、「人間のなかにある神なるもの」というニュアンスが入ります。つまり、動物にはない(「ネズミの精神科学」て分野はない。笑)。人間だけが、神に近づく特権を持っている。エックハルトの超越神学のような「人間は、神の住む宮殿」という立場もここから来てるのでしょう。ギリシア語に根元をたどると"pneuma"という言葉に突き当たるようです。これは地上を満たしている不可視の「流動体」で、たぶん中国の「気」に似ている概念です。『旧約聖書』では、神が土塊に自分の「息吹き」を吹き込み「アダム」を生み出しています。この「息吹き」が"pneuma"です。
感染症の治療にも「魂の治療」が必要だとフロイトが力説しているのは、人間の持つ「神性(Spirit)」のことは少し置いといて、"psyche"に「生命力」そのものを見てたからかも知れません。心理療法が扱うのは、そういう「生きとし生けるもの」の側面。「魂」という言葉を、日本語の感覚で深読みするとドツボにはまるかも知れない(笑)。
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