質問の体系
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【基本形】 ・聴く 「この人の気持ちは、いったいどんなふうだろうか」 人の話を聴く。カウンセリングの要点はこれだけ。反対に言うと、ひとって相手の話を聴かないためなら、ほんと何でもするんだなあ、と思う。情報収集したり、アドバイスしたり、自分の体験を話したり(「カウンセリングとは何か」と尋ねられたら、「この3つを1時間の間に一度もやらないこと」だと僕は思う。これは、ビオンが精神分析の原則として挙げた「記憶もなく、欲望もなく、理解もなく」。でも、なかなかできないものです(^^;)。これはどれも「相手の話を聴かないため」の努力。だって、「聴く」をやってしまうと、相手の悩みに自分の心も「感染」してしまうから。でも、カウンセラーは、敢えて「感染」することを受けとめようとするんだ。 【出典】河合隼雄『カウンセリング入門』創元社 【背景】 うーん、なんというか、かなわん(^^;。河合先生をライバル視しても仕方ないけど(笑)。これは、先生が30代のときの講義録です。30代だもん、30代。聴講生は、学校の先生方や人生経験豊富な御仁ばかり。「カウンセリング」に疑いの目を向けてます。「そんなんで、良くなるもんかよ」て、言葉の端々にトゲがあります。僕だったらレジメ配って、それ読み上げて、「1時間半、どうやって潰そう」て逃げちゃいそうな状況です(^^;。河合先生、なんにもなしに、出てきた話だけで、真っ正面から受けて立ってる。サービスも何もなし。「本当のこと」しか言ってない。 そういう意味では、河合先生の「聴く」は受容や共感でない。聴くか聴かないかのギリギリへ素早く行き着くための「聴く」と考えたほうが良い。「私の経験では」と挙げている実例も、傾聴を奨めるフリをしながら、「あなたは〜だったんですね」なんて反復応答ではない。「牛に引かれて善光寺ですな」とか、訳のわからんことを言う(笑)。「私にも分からない。分からないが、一緒に考えていきたい」というギリギリの態度。それは、モヤモヤと拡散している悩みごとを「悩みごと」として担ぎ直してもらうことである。 【目的】 神経症の人も精神病の人も「自分の話を聴いてもらう」という体験が持てずにいる。「話にならない」ままの状態に置かれてしまう。だから「話」になったとき、その人は自分で乗り越えていく。他人の助けなんて、借りずに。そもそも、借りようのある悩みだったら、カウンセリングに来なくても解決するもんだ。そして、だから、カウンセラーの仕事は「聴く」にある。 では「聴く」を行うと、なにが起こるのか。それは実は、先に挙げた「情報収集をしない・自分の体験を語らない・アドバイスをしない」の反対のことが起こるみたい。クライエントのなかに3つのことが起こる。つまり「自分で情報収集をし、自分の体験に照らし合わせ、そして、自分にアドバイスをする」という動きが。 というわけで、「聴く」仕事なのに「質問の体系」とはまたハズれたことを、と思われても仕方ない。でもやっぱりこの頃、どれだけ「聴く」をやってもうまくいかない感じがする。他人のせいにしちゃ悪いけど、「ああしなさい。こうしなさい」とアドバイスする「専門家」が多い。本とかテレビとかで、さ。「聴く」に徹してるつもりでも、クライエントのほうは「この先生も、あの本やテレビの専門家みたいに、〜するのが良いと思ってるはずだ」と思われる。不本意。なんとか、その無意味な回り道はかわしたいものだわ(そういう意味では、カウンセリングを「役に立たない」と思われてもかまわない。アドバイスなら、かならずどこかにあるわけだから)。 【質問の体系】 「私」が「私」を見つめるためには、一度「私」を「私」以外のところに移すことになる。精神分析の基本である「転移分析」。「私」のなかには、生まれつきの「自己」の部分と、周囲から学習した「自我」の部分があり、その2つが対話をしている。静かに話を聴いていると、その内的対話が、セラピストとの関係のなかに移し出されてくる。「対話」は外在化され、クライエント・セラピスト双方にとって観察可能な事象となる。「心」という、本来は目に見えないものを扱う方法として、カウンセリング場面そのものを利用するわけです。 こうしたテクニックは「私」の二重化とも言える。単なる一人称である「私」を、語り合う複数形の「私」へと変容させる。「質問の体系」とは、その二重化を促進させる手段である。すると「聴く」とは、「この人の葛藤は何だろうか」という問いを立てながら話を聴くことだろう。セラピストが葛藤(モラルジレンマ)を受け止める「器」となることで、そこに弁証法的止揚が起こり、新たな視点(メタ視点)が生じてくる。 ■自分の身体と向き合う質問(『分析上の注意』) 身体との対話と言っても、肉体に人面瘡が出来て喋るわけではない(笑)。「頭では分かっていても、身体がついてこない」。この「身体」として表されている「自己(魂)」に自らを語ってもらう。「自分で情報収集をする」の部分。固着していた体験は形容詞化され、流動的になる。 EPTの質問 POPの質問 ORTの質問 Zenの質問 ■対人関係を見つめ直す質問(『転移の力動性』) 実際の対人関係は、内的対話のモデルとなる。「自我(自己対象)」という内的他者は、その対人関係が内在化したものである。語られるに従い、居心地の良い対人関係がリ・メンバリング(想起=再編成)される。「自分の体験に照らし合わせる」の部分。繰り返されるパターンや思い込みを「それ(エス)」として名詞化し、距離を取って観察することになる。 SSTの質問 IPTの質問 ATの質問 NTの質問 CBTの質問 TAの質問 ■自分の将来像を作り直す質問(『魂の治療』) 「自我」の本来の役割は、「自己」を保護し成長を促すところにある。それをフロイトは「自我理想」と呼んだが、僕は「内的治療者」と呼びたい。「ほどよい親イメージ」である。この内的治療者こそが、新しい「自己」への変容を牽引する。「自分にアドバイスする」の部分。人生は物語の途中として扱われ、動詞化し始める。 SFAの質問 NLPの質問 ELFEの質問 BATHEの質問 GROWの質問 |